インフルエンザA型に取り憑かれしばらくグッタリしてました
病は気からとがんばってみたけど、自力では奴らには勝てず、薬物投球して殲滅し、上海に40時間滞在して今から飛んで神戸に帰ります。
神戸到着は1時過ぎかな……
寝込むとダメですね、大人でも数日寝込むと体力はかなりなくなり、食欲も減退し身体も冷えやすくなり、最近おっさんになったのを自覚します
前回のブログからしばらく間が空いちゃった……
さて本題、起業時のことってよく覚えてるものです
良く質問されるからかもしれません
25歳で土木作業員から個人事業主となり、26歳で会社を立ち上げるまではワクワクの連続でした
起業のきっかけってシンプルなところから始まったりします
けして意気込まなくても社長にならすぐなれます
つまり誰でもなれる職業が社長
だからこんな肩書きになんの意味もありません、でも最初は代表取締役って書いて喜んだりしてました
まったく幼稚ですね、肩書きなんていらない、こんなものに縛られてたらスピード感もって仕事はできません
ただ責任と成果直結の具体的な仕事のレベルが、明確に違うから決定権がちがう
え〜と、肩書きの話はまぁいいか……
起業!そう起業してからの個人事業主としての最初の仕事は、コンパニオン紹介でした
知人のコンパニオン会社からキャンペーンスタッフを30名単発で手配できないか相談され、2ヶ月連続で依頼されたのがきっかけでした
当たり前に人材派遣の許認可などないし、個人情報保護法もまだないから、30名の手配も全てモグリ、個人情報も垂れ流しで、それでもそれなりのお金になるしとやったわけです
それが案外評判になって、今度は違う会社を紹介され、試食販売などを受けていく、次から次へと紹介していただきながら、試飲会や展示会、推奨販売、顧客開拓業務など、気がついたらそれなりの仕事と量になっていました
同時に居酒屋店の売却居抜き話があり、お店をやるチャンスだーーー!と妄想に取り憑かれ
250万で譲っていただき、テナント保証金を入れ替えていきなりお店を開いたりして
これがDs,up(ディーズアップ)で最後はbarなのかイタリアンか微妙なお店でしたが、5年間私がお店に立ってフライパンふったり、お酒出したりしながら、友人が店長やったり、料理長になったりと
若かったし楽しい空間で、デザイナーの姉がいろいろやってくれたおかげで、20年前にしてはカッチョいいイタリアンbarとして聖蹟桜ヶ丘で営業させてもらいました
いまの会社近くにあったら絶対楽しいだろうなぁ〜、なんて思うと凄まじくお店がやりたくなります!
でもやりません。。。。
ちなみにこのお店はまだ聖蹟桜ヶ丘で当時の料理長が私から譲り受けてくれたおかげで、いまも美味しいパスタ、ビザなどを提供しつづけてます
いまは内装も友人の料理長 加藤さん(オーナーシェフ)仕様に変わってて、変わらないのは床のタイルくらいだけどオーナーシェフ加藤さんの作るパスタはヤバイ、美味いから、間違いないから多摩に行くなら是非寄ってみてね
小さなお店だけどいいお店なんだぁ
写真はnetから画像拝借してますが許してね
料理は抜群に美味しいです!!!
僕は全然行ってないけど、ゆっくり出来る時寄らせてもらいます
そんなことで、僕のお店作りは飲食店が原点にあって、お客様との関係性もカウンタースタイルなんですよね
だからすぐ人から人に話をつないで、共通点を見出していって仲良くなってもらう、待ち合わせ場所や、そこに行けば誰かいる的なお店になると1番いいし
そのスタイルができると一見さんがきても僕は新規お客様とコミュニケーションとれるし
自分でやるならやっぱり楽しくないとダメだから、みんな仲良くなるような雰囲気を意識してやってたのを思い出します
barも会社も人なりですから
ようやく関空到着です、飛行機遅れたから遅くなったけどこれから神戸に向かいます
ではお疲れ様でした

馬場 大介

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